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塚原古墳群(つかはらこふんぐん)

古墳の所在地 高槻市塚原
古墳の形状 円墳
規模 7~18m
築造年代

6世紀~7世紀

被葬者 安威川流域一帯を支配していた豪族(推定)

 

概要

阿武山の南斜面から麓部に展開している塚原古墳群は現存する古墳でも40基あり、それらが密集し、やや小型の古墳が多いのだが、実にたくさんの古墳が密集している地域である。

塚原古墳群に点在する古墳の多くは横穴式石室を有する全長が7~18mくらいの円墳がほとんどで6世紀から7世紀にかけて築造されたものである。
塚原古墳群は当時日本の明治新政府から、大阪造幣寮(現・造幣局)へ外国人技師として招待されたウイリアム・ゴーランド氏が1872年に初めて世界に紹介された古墳群とされている。

 

B33号墳

古墳の所在地 高槻市塚原2丁目
古墳の形状 円墳
規模 18m
築造年代 7世紀前半
副葬品 耳輪、鉄製の武器、食器、木棺の金具と鉄釘
被葬者

安威川流域一帯を支配していた豪族(推定)

 

塚原2丁目のバス停から来た道を戻り東に歩いて行くと「たんぽぽ児童遊園」という本当に小さな公園がある。ここがB33号墳である。

7世紀前半に造られた直径18mの円墳であったようであり、周囲には濠が廻らされていたようである。

この児童遊園に地下には約7mの南向き横穴式石室があり、5人の被葬者が葬られていたようである。
現状は埋め戻されているため古墳の形状を確認するどころか、石室の有無も全く解らない。

直径18mの円墳があったとされているということは、前の道路も含め公園を取り囲むように建てられてある住宅は古墳の上に建てられていることになる。

この公園の地下には発掘調査後埋め戻された石室がある。出土物は耳輪や鉄製の武器、食器などの副葬品や木棺の金具と鉄釘が出土している。

被葬者は定かではないが、安威川流域に勢力を持っていた有力豪族と考えられている。
しかし完全に古墳の原型はなく、掲示板がなければそこに古墳があったことすら分からない。

 



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E1号墳・E2号墳

E1号墳・E2号墳
古墳の所在地 高槻市塚原2丁目
古墳の形状 円墳
規模 18m
築造年代 E1号墳は6世紀中頃、E2号墳は6世紀後半頃
副葬品 不明
被葬者

安威川流域一帯を支配していた豪族(推定)

 

 

E1号墳・E2号墳塚原2丁目のバス停から北へ歩いて行くと、閑静な住宅街があり、またさらに進むと樹木が生い茂った公園に行きあたる。

ここがE1号墳・E2号墳である。ともに横穴式石室を備えた直径16mの円墳で2基の古墳は接すようにつくられている。
石室はすでに破壊されているが、多数の副葬品が出土している。E1号墳は6世紀中頃、E2号墳は6世紀後半頃に築造され、いずれの古墳も3人以上が埋葬されていた家族墓ということである。
古墳の形状は円墳とあるが、墳丘に登ると何となく形状を確認することができる。
大体が副葬品などの鑑定により、被葬者の身分的なものや、古墳そのものの築造年代を割り出しているようだが、大抵の古墳は盗掘にあっており、そのことを見極めることは難しいのが現状であることは否めない。

この古墳には3人以上埋葬してあったらしく、おそらく親子か兄弟であったのであろう。3人同時に死んだのか、一人が先に死に何年後かにもう一人、また何年後かにまた一人が死に、ここに埋葬したのだろうか。

 

E1号墳・E2号墳E1号墳・E2号墳E1号墳・E2号墳

 


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O1号墳

O1号墳01

古墳の所在地 高槻市塚原2丁目
古墳の形状 円墳
規模 18m
築造年代 6世紀後半
副葬品 人物や鹿などの須恵器片、装飾器台
被葬者

安威川流域一帯を支配していた豪族(推定)

 

O1号墳02先ほどのE1号墳・E2号墳から一旦塚原2丁目のバス停に戻り、ゴルフ場を横切り東へ歩いて行くと。大きな池がある。

その池を左に曲がり池沿いに再び山の手を北のほうに向かって歩いていくと右手に公園が見えてくる。公園内の樹木が生い茂った小山がO1号墳である。

O1号墳03先ほどのE1号墳・E2号墳と規模も形も非常によく酷似している。直径が18メートルの横穴式石室を備えた円墳である。

位置的にもこれらの古墳は池を挟んですぐ近くであり、何らかの関係があったのではないのだろうか。

この古墳は外形調査の際に石室の南側部で排水溝、墳丘の北・西側では周濠(しゅうごう 古墳の回りを取り囲む環状、濠状の部分のこと。)があったらしい。
O1号墳04副葬品は人物や鹿などの須恵器片が出土した。直径が12メートルくらいの円墳がほとんどの塚原古墳群のなかでこのO1号墳は規模は大きく、珍しい装飾器台が出土していることからこのあたり一体を治めていた有力者の墓と推定される。

 


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近隣情報

新池遺跡(しんいけいせき)(ハニワ工場公園)

番山古墳

 


交通・アクセス

JR東海道線(JR京都線)摂津富田駅下車 高槻市営バス西塚原行き 塚原2丁目下車

 

 

 


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