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昼神車塚古墳(ひるがみくるまづかこふん)

昼神車塚古墳のイメージ01

古墳の所在地 大阪府高槻市天神町1丁目
古墳の形状 前方後円墳
規模 直径60m、高さ4.5m
築造年代

古墳時代中期(6世紀中頃)

副葬品 埴輪(犬、猪、狩人など)
被葬者 この地域を治めていた豪族(推定)


概要

今城塚古墳のイメージ02JR京都線(東海道本線)高槻駅で下車し、北出口を出ると西武百貨店があり、それを横切りさらに歩いて行くと道路の真ん中に上宮天満宮の大きな鳥居がある。

またそれをくぐりさらに進んでいくと、道路の突き当たりに上宮天満宮の石段に行き着く。

そこを右へ数十メートル行くと道路にトンネルがありその上に樹木が密生した場所がある。

昼神車塚古墳(ひるがみくるまづかこふん)である。

古墳の下を府道が通っており、交通量も多く、なんとも奇妙な光景だが、府道を通すために墳丘の下部分をくりぬきトンネルにしたものだと思われる。

芥川より以東に位置する天神山から南へ伸びた尾根を利用して築造された北向きの前方後円墳で、規模は全長が約60m、前方部の幅が約40m、後円部径約が35mで、後円部より前方部の方がやや高く造られた新しい特徴を備えている。

三島古墳群において古墳時代の前期は主たる古墳は山の尾根に築かれ、中期頃になると集落の近くの丘陵部の麓や段丘部などに移行してくる。古墳時代の後期頃に至ると、一部の古墳を除き再び山の尾根や丘陵部に築かれている。

この古墳の築造は後期頃の築造となるので天神山尾根に築造されている。

築造年代は古墳時代の中期(6世紀中頃)と考えられており、三島古墳群の中でも新しい部類に入る古墳である。

右上の写真を見てもらいたい。

昼神車塚古墳を東側から撮影したものであるが、写真左側が後円部、右側の車が通っているトンネルの上が前方部にあたる。
後円部には樹木が密生しており、なんとなくではあるが円形を確認することができるが、実際の後円部の墳丘の盛土はずっと下にあり、後円部が前方部がより低い位置にあることがわかる。

このような古墳の様式は三島古墳群の中でもここだけではないのだろうか。
今城塚古墳のイメージ03前方部の墳丘には3段からなるテラス状の段があり、中段のテラスには人(猟師)、猪、それから犬の埴輪が2列整然と並べられていたようだが、現在はレブリカが数体並べられているのみであるが、当時の情景を垣間見ることができる。

本物の埴輪は高槻市の今城塚古代歴史館に保管・展示されている。

被葬者についてはこのあたりを支配していた豪族の墳墓ではないかと推定されるが定かではない。

この古墳に限らず被葬者については不明な点が多い。というよりも全くわかってないのが現状である。

今から1500年も前のことだから仕方がないといえば仕方がないが、石室の巨石にでも被葬者の名前でも掘ってあったのならば特定できたかもしれない。
この古墳は前方部(道路トンネルの屋根部分)が後円部より高い構造をしているようだが、道路側から古墳全体を見渡すとそのように見えなくもない。

先に紹介した前塚古墳もそうであったが、なんとも騒がしい場所にある古墳である。

三島古墳群の中で一番年代的に新しい前方後円墳であり、これ以降は前方後円墳は築かれていない。

恐らくではあるが大和政権下の律令によるものと推測される。

ちなみにこの古墳の名称の車塚(くるまづか)とは前方後円墳の俗称を指す言葉である。

 

今城塚古墳のイメージ04今城塚古墳のイメージ05

昼神車塚古墳から出土した埴輪 左から力士、角笛をもつ手、犬、猪、犬

(今城塚古代歴史館より)

 


近隣情報

能因法師墳

上宮天満宮

 


交通・アクセス


大きな地図で見る

JR高槻駅北口から北へ徒歩約8分

 

 

 


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